【谷崎潤一郎『刺青』】著者、谷崎潤一郎のコメント
有名な日本文学の面白さを伝えられたら、と思う文学部生ひよこです🐣
谷崎潤一郎が著者として、自らの作品『刺青』に関してコメントを残しているので、そちらを紹介します。どのような人物がどのような思いで『刺青』を書き出版したのか、作品の裏にいる人間像にワクワクしますね。
著者、谷崎潤一郎のコメント
創作前後の谷崎のコメント
「(創作前後の気分)『刺青』などを書いた時代には、書くものが一々傑作のやうに思はれたものです。
つまりそれだけ自分で信ずる力が深かつたので、努力して得たよろこびが、作のいいわるいなどを顧みる余裕を与えなかったのかもしれません。」
(『愛読愛蔵版全集第二十三巻』一九八三年七月二十五日 中央公論社)
🐣→根拠のない自信がある時期って誰にもありましたよね、、。ひよこは今かもしれません笑
『刺青』は谷崎潤一郎が二十一歳の時の作品で、さらにはデビュー作なので、若さゆえのあの、よく分からんパワフルな勢いで世に出てきた作品なのかもしれません。
ですが、谷崎には作品制作に努力したという意識はあったようです。その「努力した」と思える所にも、谷崎の自信を感じます。
著者のコメントを読むと著者に人間味が感じられていいですね☺️作品がぐっと身近に感じられます✨
『刺青』の時代設定に対する谷崎のコメント
「実は発表した物は徳川時代に持つて行つてゐるが、最初は現代のことにして書いた。然も、もつと長いものであった。
徳川時代に持って行ったのは、現代ではどうも作品の上で具合が悪かつたからだ。」
(『別冊文芸春秋』第五十四号一九五六年十月二十八日)
🐣→このコメントに関しては、その他の参考資料が見つけられませんでした🥺現代版(主に谷崎が生きた明治だと思われる)『刺青』気になります。
「作品の上で具合が悪かった」というのは、作品に過激なシーンを含むからだと思います。「現代」を舞台に書くと作品に現実味が増してしまいます。そこで、あえて時代をずらすことで、『刺青』というストーリーが作品上の世界として確立しています。
例えば、作品の時代設定により、刺青師清吉が娘に麻酔をかけ刺青を刺すシーンを読んだ時に
「え、、、犯罪じゃん、、」と受け取る読者よりも、
「欲、、娘、、背中に女郎蜘蛛の刺青、、」と作品の表現を楽しめる読者が多いでしょう✨
木村壮太*の批評に対する谷崎のコメント
「木村壮太が『誕生』は古臭いといふことだったのに『刺青』には大層興奮して、「こんなに面白い物を読んだことがない。」と言つた。
だけど、自然主義*の旺盛な時代だったから、「自然主義とまるで違うこんなものを出しても、君は当分世間に出られないね。」と言つてゐた。
私は自然主義がいくら旺盛でもそんなことはないとその点は割に自信を持つてゐた。」
(『別冊文芸春秋』第五十四号一九五六年十月二十八日)
木村荘太•••〈谷崎との関わり〉小学校時代からの親友である谷崎らと共に、第二次『新思潮』を創刊。資金を提供。
(日本大百科全書)
自然主義•••明治四〇年(一九〇七年)代の文学運動の呼称。主として散文の分野で展開された主張で、一切の現象を自然の所産と考え、その自然を偽りのない真実として尊び、自然の再現を芸術の目的とした。
(日本大百科全書)
🐣→動じない谷崎、かっこいいです。面白いものを書けば必ず世間に認められる、と世間に出る前に言える自信がかっこいい!✨また、谷崎が語る木村荘太のコメントから、当時の興奮が伝わってくるようですね☺️
永井荷風*に対する谷崎のコメント
「私としては荷風先生に何としてでも読んで貰いたいと思つてゐた」
(『別冊文芸春秋』第五十四号一九五六年十月二十八日)
永井荷風*•••反自然主義陣営の中心的な存在。
(日本大百科全書)
🐣→永井荷風を谷崎は尊敬していました。永井荷風の著書を読むことで、谷崎の作品の性質を分析していくこともできそうです🤔✨
この出版当初の願望は叶い、『刺青』出版の翌年(一九一一年)、永井荷風は『谷崎潤一郎氏の作品』という評論を発表しています。
そして永井荷風の激賛により、谷崎潤一郎は作家としての地位をぐっとあげたのです✨
最後に
『刺青』の著者、谷崎潤一郎のコメントを読んでみていかがでしたか?
有名な作品は多くの文献があるという点が魅力的でもあります😊『刺青』以外の作品でも、好きな作品に関する文献を、図書館に出向いて探してみるのはいかがでしょうか?✨
ひよこは、作品のどこかに本を書いた「人」を想像すると、作品を今までより生き生きと感じます☺️
いくつかの文献に触れた今、『刺青』をもう一回読んでみると世界が変わりますよ✨
ひよこ🐣