綺麗になりたい大学生ひよこ🐣のブログ

【谷崎潤一郎『刺青』】研究編Ⅱ

有名な日本文学の面白さを伝えられたら、と思う文学部生ひよこです🐣

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〈研究編Ⅱ〉では〈優しい解釈編〉、〈研究編I〉に続き、10分ほどで読める短編、谷崎潤一郎の『刺青』を紹介します。

 〈優しい解釈編〉、〈研究編I〉をすでに読まれている方は目次へ🐣

 

↓はじめてひよこの【文学】記事を読む方へ

 〈研究編〉は、すでに『刺青』を読み込んでいる方も面白く読んでいただけると思います!このブログがきっかけで色々な解釈を話し合えたら嬉しいです☺️✨

文学部のひよこがじっくり考察した〈研究編〉、是非お楽しみください😊

 

また、〈研究編〉は実際に本を読んでいただいた方が絶対に面白いです!ページ数をつけて引用もしているので、本を並べて読んでいただけると分かりやすいと思います✨

 

谷崎潤一郎の名前だけなら聞いたことがあるという方、誰それ?🤤という方も、1作品知っておくのはいかがですか?✨そんな方は〈優しい解釈編〉から読まれることをおすすめします!

〈研究編〉はどの番号から読んでいただいても構いません☺️

↓〈優しい解釈篇〉 

www.hiyoko.work

↓〈研究篇I〉

www.hiyoko.work

先行研究を用いた谷崎潤一郎『刺青』の考察(考察三~七)

考察(一、二)は[研究編I]

考察内の「」内は本文の引用、()内は(頁・行)です。

先行研究

① 永井荷風

「谷崎潤一郎氏の作品」

(『三田文学』一九一一年一一月一一日)
② 藤森猛

「「羅生門」試論(上):谷崎潤一郎「刺青」に注目して」

(『近代文学試論』一九九四年一二月二五日)

③吉美顕

「谷崎における反転する女人の身体:時代別の推移をめぐって」

(『Comparatio』二〇〇一年三月二〇日)

④小野友道

「谷崎の「刺青」:皮膚から肌への一瞬(いれずみ物語:1)」

(『大塚薬報』612:65―67二〇〇六年一月十五日)

⑤石割透

「皮膚の〈図解学〉:谷崎潤一郎『刺青』」

(『駒沢日本文化1』二〇〇七年一二月)

 

考察三【何故、娘の背中に刺青を刺ったのか】

 個人の内面に封じられた〈秘密〉を自覚することにこそ〈自己〉があるという倫理的な課題を逆手に取り、暴力的に他者の〈内面〉ならぬ着物に包まれた〈身体〉に烙印を施し、秘密を刻み付けたのが、他ならぬ「刺青」の清吉であった。
 
 反自然主義文学の旗手であった谷崎も、紛れもなくこの時代の申し子に違いなかった。谷崎は、暴力的に外部から女性という他者の身体に、〈秘密〉を刺すという方法でそれを示したのである。

 彼女が着物脱ぎ、背中の〈刺青〉を見せる。その場合、清吉が刺青を刺った時と同様に、一方的に彼女の背中に相手が視線を向ける形をとる。

(石割透「皮膚の〈図解学〉:谷崎潤一郎『刺青』」(『駒沢日本文化1』二〇〇七年一二月))

 

🐣→秘密をテーマとする時代の風潮のなかで、谷崎自身の思想である反自然主義に基づく表現だと考えられる。さらに女性が自己の身体を見るものを選び、それを見せる場をも選び取る、という、男性/女性の関係も示したと考えられる。

 

考察四【娘は小説に書かれない今後、どう生きるのか】

  〈女郎蜘蛛〉が明るみに晒された時、彼女は社会から嫌忌され、彼女が生息でき得る世界は、〈刺青〉を容認しうるそれに限定される。彼女が清吉に示唆された、彼女にとっての「真の「己」」とは、彼女が自己を生かし得るそうした世界を認識したことを意味する
 
 彼女の〈刺青〉は日常の関係性の中では、いかなる効力、作用も発揮せず、〈刺青〉を刺された背中、という己の身体を意識しながら、彼女は無表情に生き続けるのである。自己の抱えた〈秘密〉は、いつか誰かの前で露見するという快感に酔い痴れながら。

石割透「皮膚の〈図解学〉:谷崎潤一郎『刺青』」(『駒沢日本文化1』二〇〇七年一二月)

 

🐣→娘は着物の中に隠した〈刺青〉により秘密に敏感にならざるを得なくなり、秘密にしてきた「真の己」を意識させられるようになったと考えられる。

 

(→「刺青」は一九六六年に大映で、増村保造監督、新藤兼人脚本、岩尾文子主演で映画化された。映画では、山本学扮する刺青師は、芸者となった彼女の行状を、以後もっぱら視る者と化し、彼女の余りにも凄まじい悪行を見て、刺青が浮かぶ彼女の背中を刺し彼女を殺すことで終える。)

 

考察五【題名〈刺青〉について】

 ・〈刺青〉師清吉の目線で書かれた小説
 ・清吉の欲を生み、そして満たす〈刺青〉
 ・小説中、一番の盛り上がりだと考える、娘の変化をもたらす〈刺青〉

 

🐣→物語のはじめ、クライマックス、ラストにかけて書かれる〈刺青〉という言葉は、この小説のキーワードであり、テーマであると考えられる。

 

考察六【〈入墨〉(8・9)と〈刺青〉】

 谷崎の『刺青』が世に出るまで「刺青」の用例は見当たらないので、谷崎の独創になる文字と見なされている。刺青を指す文字として、現在の中国では「文身」あるいは、「紋身」が汎用されていると聞くが、以前は「刺青」が用いられていたという。

(小野友道「谷崎の「刺青」:皮膚から肌への一瞬(いれずみ物語:1)」(『大塚薬報』612:65―67二〇〇六年一月十五日))

 

🐣→おそらく中国から入った「刺青」を谷崎が用いたと考えられる。

 

  「入墨」は江戸時代、専ら刑罰に使われる言葉であった。谷崎は「すべて美しい者は強者であり、醜いものは弱者であ」る(8・5)ことを強調したいがために、町人や侍の貧弱ないれずみを醜い弱者として登場させ、そんなもの「刺青」とは言わせないと啖呵をきったのではないか。

(小野友道「谷崎の「刺青」:皮膚から肌への一瞬(いれずみ物語:1)」(『大塚薬報』612:65―67二〇〇六年一月十五日))

 

🐣→入墨によって、美しい「刺青」、を引き立てたと考えられる。

 

考察七【〈女の中の女〉について】

 清吉は何故「真つ白な足」と「光輝ある美女の肌」の所有者である女性を求めたのか、それは、そのような身体を持っている女性が男性を征服できるからである。

(吉美顕「谷崎における反転する女人の身体:時代別の推移をめぐって」(『Comparatio』二〇〇一年三月二〇日))

 

🐣→清吉は悪魔的な要素、つまり男性を征服できる官能的な肉体をもつ女人を追求したと考えられる。そのため、男を踏みつける光景を象徴する〈足〉が、作品中に計箇所書かれている。

[足の描写]

・真つ白な女の素足(10・10)、
・人間の足はその顔と同じように複雑な表情を持って映った。その女の足は、彼にとっては貴き肉の家宝であった。親指から起って小指に終わる繊細な指の整い方、絵の島の海辺で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合い、玉のような踵のまる味、清冽な岩間の水が絶えず足下を洗うかと疑われる皮膚の潤沢。この足こそは、やがて男生血に肥え太り、男のむくろを踏みつける足であった。(10・11~15)
・巧緻な素足(11・18)
・顔を見るのは始めてだが、お前の足にはおぼえがある。(12・5~6)
・真っ白な足の裏が二つ(17・5)

 

考察のまとめ

🐣『刺青』は人間の欲と、その欲を満たす様子を、谷崎潤一郎の思想や好みをもとに描写し、また、人間に内在する本性や秘密を表現した作品だと考える。

 

最後に

本は読んでいるときはもちろん、読み終わった後も楽しめます☺️谷崎潤一郎の「刺青」いかがだったでしょうか?まだまだ、考察の余地がありそうです✨

有名な作品は、多くの人が研究論文、解釈書などを出しているので、それをを読んでみるのも面白いと思います😊

最後までお読みいただきありがとうございました!

ひよこ🐣 

 

ひよこが読んだ(底本として用いた)のは、

『谷崎潤一郎全集第一巻』(一九八一年五月)です。